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深層学習×ロボティクス×創薬研究 Preferred Networks社との協働で目指したエシカルな実験手法-異なる分野の知見の融合

中外製薬は、革新的な医薬品・サービスにおける新たな価値創出を目指し2018年に株式会社Preferred Networks社(以下、PFN社)と包括的パートナーシップ契約を締結しています。その取り組みの中で、PFN社の持つ深層学習やロボティクス技術と中外製薬の持つ創薬領域の知見の融合により、非臨床試験における実験動物への負荷を減らすと共に、プロセスを効率化する実験装置「尾静脈投与ロボット」を共同開発しました。今回のnoteでは、PFN社と中外製薬の協働プロジェクトのメンバーへインタビュー。ロボット開発の背景や開発プロセス、様々な専門知識をもつメンバーがアイデアや経験をもちより議論を重ねた道のりを聴きました。

インタビューしたプロジェクトメンバーとプロジェクトにおける役割

中外製薬株式会社 研究本部創薬薬理第一研究部
三股 舜(トップ写真中央)
中外製薬社内におけるの本プロジェクトのプロジェクトリーダー、創薬分野の知見の共有、PoC推進を担当

株式会社Preferred Networks Industry Solutions部門
田中 悠輔さん(トップ写真右から2番目)
PFN社内における本プロジェクトのプロジェクトリーダー、 ハードウェア全般の開発を担当

井形 秀吉さん(トップ写真右)
Healthcare & Wellnessチーム所属。深層学習を用いたソフトウエア開発を担当

井上 拓哉さん(トップ写真左)/水野 和恵さん(トップ写真左から2番目)
2社のパートナーシップ事務局を担当

マウス尾静脈投与ロボットの開発背景

―はじめに、創薬研究における動物実験の存在意義、対応すべき動物福祉について教えてください。

三股:動物実験は、新薬開発の過程でヒトに対する臨床試験(治験)の前に必ず行うプロセスです。医薬品が医薬品と呼ばれる前の段階で、その化合物の体内動態(体内における吸収、分布、代謝、排泄の過程)や安全性、薬理作用を評価することが目的です。動物実験でヒトに対する安全性や有効性の見込みを確認し、その結果を当局に申請し承認を得てはじめて、ヒトを対象とした治験を行うことができます。
 
このような医薬品の開発をはじめとした生物医学研究における動物実験については、動物福祉の観点から3Rsの原則が存在しています。3RsはReduction(動物実験に供する動物数を減らすこと)、Refinement(動物に与える苦痛を軽減すること)、Replacement(動物実験を、動物を用いない方法に代替すること)の原則からなり、私たちは、当社と戦略的アライアンスを組むロシュ社とともに、3Rsに積極的に取り組んでいます。

-マウス尾静脈投与ロボットの開発にどのような期待があったのでしょうか。

三股:尾静脈注射は動物実験において頻繁に行われる手技で、熟練度によって精度や速度が異なり、研究員の体調などによって成功確率も変わります。また、一度の穿刺で注射がうまくいかなかった時の心理的ストレスなど、研究員にとって負担の多い手技です。私自身も学生時代からこの手技を何度も経験してきた方ですが、より負担が少なくなる方法を模索していました。
  
そのような課題がある中で、PFN社とのパートナーシップが始まりました。私たちが目指したのは、尾静脈注射の精度と速度を向上し、マウスに不要なストレスを与えることなく研究員の負担も軽減できる実験装置の開発です。本プロジェクトは、3RsのReductionとRefinementに貢献し、創薬研究において大きな影響を及ぼすと期待しました。

異分野の融合により進むロボット開発

―マウス尾静脈投与ロボットにはどのような技術が活用され、作動しているのでしょうか。

田中:このロボットには深層学習を活用した画像認識技術と、ロボット 技術が使われています。深層学習を用いてマウスの尾静脈をカメラにより自動認識して、穿刺に適した角度や深さを判断し、ロボットが穿刺を行います。穿刺後のシリンジへの血流の逆流により、正しく穿刺が行われたかが確認できます。穿刺が成功した場合は、薬液が自動で投与されます。一連の操作はタッチパネル上で行われ、ロボットの操作が初めての人でも直感的に操作できるように設計されています。

実際のマウス尾静脈投与ロボット。W455㎜×D410㎜×H525㎜

井形:画像認識では、尾静脈とそれ以外の領域を区別する手法を使用しました。この技術自体は一般的な画像認識手法ですが、対象が生体であり、体を外側から写した画像からは血管の位置が曖昧だった点や 、マウスの毛色や体型などの個体差による血管の見え方の違いを考慮しました。尾静脈と注射針の位置を三次元空間で高精度に推定することで、その後のロボットによる穿刺と薬液投与の成功確率を向上させました。
 
田中:ハードウェア面では、マウスの個体差や動きを考慮しつつ正確にマウスを保持して尾静脈に穿刺する機能をもちながらも、実験室での使用に適した卓上サイズのコンパクトなロボットになるよう設計しました。中外製薬の研究員の皆さんからのフィードバックをいただきながら試作を繰り返し、実用的なロボットを開発することができました。

―ロボットの開発において、中外製薬の研究員としての経験や知見はどのように活用されたのでしょうか。

三股:私たち研究員が日ごろ経験的に行っている手技の細部を言語化した上で、PFN社のメンバーと共有し、ロボットの動作に反映させるよう試行錯誤しました。これには、マウスに負荷をかけず、効率的かつ少ない痛みで実験を行うために熟練研究員が会得した手技の特徴なども含まれています。PFN社のメンバーには私たちが普段実験を行っている研究所に来てもらい、実際のマウスを観察し、直接実験手技を見学してもらいました。

―完成したロボットを実際に使用した研究員の反応はいかがでしたか。

三股:完成品を見せたとき、研究員はこのロボットが本当に実現したことに驚いた様子でした。シンプルな操作性と実験手技の正確さに対しては特に高い評価を受けています。実験手技の個人差の解消、手技精度の向上といった効率化がさらに進めば、人間が注力すべきより創造的な業務、たとえば新薬の標的となる分子の調査や候補化合物の設計などにリソースを投資できるようになるだろうと、期待を持たれています。

オープンイノベーションの実践。本プロジェクトの学びと創薬DXへの期待

―多くの企業との共同開発を行っているPFN社にとって、本プロジェクトはどのような特徴がありましたか

井上:このプロジェクトでは、 非臨床試験、 AIを用いた画像認識、そしてロボティクスの3つの分野に跨った知見が求められました。中外製薬、PFNのメンバーはそれぞれが得意とする専門分野については理解していましたが、これらを組み合わせて一つの開発品を作り出すという点では、かつてない複雑性をはらんでいました。また、私たちが通常扱うのは無生物なので、今回初めて画像ではなく実物のマウスを対象にしたという点も新たな挑戦になりました。
 
田中:技術者にとっては、実現可能性が見えない状況で始まったという点で、これまでの経験とは大きく異なりました。マウスに不必要な負荷をかけずに尾静脈注射を行う実用的なロボットの開発という明確なゴール設定のもとで、そもそも動く生物に対してロボットが正確に穿刺できるのかという根本的な疑問を解消するところから始まりました。実際のマウスの行動や実験手技を見て、新たな知見を獲得しながら私たちの技術と組み合わせることで、疑問や課題をクリアにしていく過程は、私たちの技術力と創造力を引き出す重要な機会となりました。

―創薬分野とデジタルIT分野という異分野の融合による価値創出事例となった本プロジェクト。この経験で何を感じましたか?

水野:私はお互いの専門性を理解し、経験や知見を共有し、共通のゴールに向かうためのコミュニケーションの重要性について身をもって感じました。今回のプロジェクトは、中外製薬とPFNという異なる専門性を持つ企業同士の連携だけではなく、PFN社内でも多くの連携が必要でした。本日のインタビューに来ているメンバーだけでも、機械学習とソフトウエア、ロボティクス 、ビジネス開発という様々な専門性を持っています。それぞれの専門性を活かしながらプロジェクトを推進し、新たな価値を生み出していく経験を通じて、異なる分野の専門家が一体となって取り組むことの力を改めて実感しました。
 
三股:水野さんもおっしゃっていますが、バックグラウンドや前提知識が異なるもの同士で共通のゴールを目指すためには、オープンなコミュニケーションが必要不可欠だと感じました。専門性を尊重するというのは、自分たちが知らない領域の知識に興味を持つことだと思っています。ロボット開発の過程において、私たち研究員は、PFN社の技術について疑問に思ったことは些細なことでもチームメンバーに伝えるよう心がけました。
研究員目線の要望やその時感じている課題を率直に伝え、PFN社のメンバーと一つ一つ解決していくことでチームの信頼関係が醸成されたと実感しています。

―最後に、創薬分野におけるデジタル技術の活用についての期待について教えてください。

井上:デジタル技術の活用が進むことで、創薬研究における価値創出が加速すると期待しています。近い未来では、デジタル技術は単なるツールではなく、創薬研究の一部として組み込まれ、新たな視点やアプローチを提供するでしょう。特にロボット技術の活用は、人間の能力を補完し、新たな価値を生みだす可能性を秘めています。
 
三股:私たち研究員がより創造的な業務に専念するためには、デジタル技術の活用が不可欠だと考えています。人間の持つ創造性とデジタル技術を組み合わせることで、我々はさらに多くの価値を生み出すことができると確信しています。

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インタビュア・文
胡桃 里枝子(デジタル戦略推進部)




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