VR分子モデリングシステムで研究員のインスピレーションを刺激。創薬化学研究部が追求する薬の候補の化合物デザインとは
こんにちは、CHUGAI DIGITALです。中外製薬の創薬研究では、タンパク質の立体構造に基づく化合物デザイン(SBDD, Structure Based Drug Design)を重視し、精緻なデザインの追求によって質の高い新薬候補化合物の創製を目指しています。今回は、分子やタンパク質の化学構造を3Dで可視化するバーチャルリアリティ(VR)アプリケーション導入をリードした研究本部の荒川晶彦に、VR導入の理由、VRに対する期待、中外製薬のSBDDの強みや研究カルチャーについて聴きました。
荒川 晶彦:
研究本部 創薬化学研究部先端計算化学グループ所属。大学院での専門は分子生物学、構造生物学。学生の頃はタンパク質の精製から結晶化、X線結晶構造解析、機能解析実験を行っていた。中外製薬においては計算化学によって薬の候補となる化合物デザインを提案するケミスト(化学者)として活躍中。
−創薬化学研究部では、どのような研究を行っているのですか。
荒川:中外製薬の研究本部 創薬化学研究部はロシュ・グループの新薬研究開発拠点の1つであり、ケミストリーを軸としたものづくりで薬の候補となる低分子および中分子の化合物をデザインして化学合成することをミッションとしています。近年はとくに、新しい創薬モダリティとして中分子の研究に注力しています。中でも私が所属する先端計算化学グループは薬の候補となる化合物を計算化学によって提案する仕事をメインとし、全社DX推進による後押しもありAIやVRなどデジタル技術も積極的に取り入れています。
−創薬研究用のバーチャルリアリティ(VR)アプリケーションであるNanome(ナノム)を社内のDIL制度*を利用して2年前に導入し、活用を推進されています。創薬研究にVRを用いるようになったきっかけはなんでしょう。
荒川:私たち研究員は、「3Dセッション」と呼んでいるデザイン会議を開催して、薬の候補の化合物デザインを行います。従来は研究所内の3Dプロジェクタが設置された会議室で開催していたのですが、2020年当時はCOVID-19の影響で研究員が集まりにくい状況となり、代替策としてVRを活用した3Dデザイン会議を開催できないかと考えたのがきっかけです。スクリーンからの距離や角度で分子の見え方が異なるという3Dプロジェクタの課題を解消できるという期待もありました。タイミングよくDIL*の募集があったので、複数のツールを検討した結果、Nanome(ナノム)の導入を提案し国内代理店の富士通と協力してPoC(Proof of Concept)を実施、本番導入へと進みました。
DILとは*:Digital Innovation Lab(DIL)は、中外製薬のすべての社員に開かれたアイデア創出・インキュベーションの仕組みです。目先のROI(return on investment)ではなく、先進性や拡張性、将来性等の観点を重視したプロジェクトに予算・人を配分し、迅速にPoC、本番開発へと進めます。
−ヘッドマウントディスプレイを装着したバーチャル空間での分子モデリングシステムですが、一番の特長はなんでしょう?
荒川:やはり、圧倒的な没入感だと思います。目の前の空間いっぱいにタンパク質の3Dモデルが現れ、その中に自分が入り込んでいくような斬新な感覚が得られます。タンパク質の表面の「ポケット」と呼ばれる凹んだ領域を標的に、薬の候補となる化合物を近づけて結合能などを予測するのですが、VRではマウスのクリックやキーボードではなく、両手に握るVR用のスティックで分子をつかむように操作できます。原子・分子間の角度や距離を空間的に把握しながら分子を改変していると、インスピレーションが刺激されます。ゴーグルがやや重く慣れるのに少し時間はかかりますが、次世代的なワクワク感があり、薬の候補をデザインするモチベーションが高まるという効果もあると思います。
−VRは、薬の候補の化合物デザインの精緻化をどう加速していくのでしょうか?
荒川:先端計算化学グループでは、薬の候補としてデザインされた化合物群の中から、物理化学の法則に基づく分子シミュレーション及び既知の大量の実験データを用いた機械学習により、期待できる化合物を選抜し、求める薬物を効率的に見つけ出そうとしています。最初に化合物をデザインする際には、手持ちの試薬から自動で仮想化合物ライブラリを生成したりAI技術を使って化合物をデザインしたりといった取り組みも行っていますが、従来の研究員によるマニュアルデザインも依然として有効です。と言いますのも、3D構造データや薬効データだけでなく、薬物動態、安全性面も考慮して化合物デザインしていくことが重要で、これらは未だ自動化が難しいからです。そこで研究員同士で議論しながら人の経験や勘も頼りにアイデアを発散させ、新しいデザインアイデアを考え出すステップが大切になります。それを行うのが「3Dセッション」です。中外製薬の研究所では、ケミスト(化学者)が集まって標的分子の構造を舐め回すように見て議論し、質の高いデザインを貪欲に追求するというカルチャーがあります。
荒川:3Dセッションにおいて、VRが得意とする領域はマニュアルデザインのステップの「発散」だと思っています。研究員がアバターになってVR空間でタンパク質を囲み、「この部分の官能基を別の官能基に置換したら、もっと隙間なくポケットにはまるのではないか」とか「このアミノ酸がもつ電荷の性質を利用すれば、ポケットが広がってタンパク質が動くのではないか」といった具合に触りながらブレストしていると、新しいアイデアがどんどん出てきます。会議ツールとして見たときは、VR一択というわけではなく、従来のツールも含めて使い分けが重要だと考えています。
−研究開発に興味をもつ方に向けて、立体構造に基づく化合物デザイン(SBDD, Structure Based Drug Design)における中外製薬の魅力を教えてください
荒川:中外製薬がSBDDで狙うのは、治療効果が大きく期待されるものの従来の創薬技術では薬物を創製することが難しかった標的タンパク質です。具体例として、他のタンパク質と相互作用することで疾患を誘発するような標的タンパク質が挙げられ、そういったタンパク質に窪みの深いポケットがないため、強く結合する薬物を取得することが難しいとされてきました。そういったところに一緒にチャレンジできることは大きな魅力だと思いますし、これまでの確かな実績があることは、中外に研究員として入る、あるいは中外の研究パートナーとなる動機の1つになると思います。失敗することもありますが、目指すのはブレークスルー。デジタル技術の導入やデータの蓄積・利活用により、失敗のリスクを小さくする努力もしています。研究所には、失敗することを恐れない、失敗のリスクも含めてチャレンジングな環境を楽しんでいる人が多いです。
また、SBDDのもととなるタンパク質の立体構造の実験データを、社内で迅速に取得できる体制が整っていることも強みです。X線結晶構造解析に加え、最近はクライオ電子顕微鏡装置を国内製薬企業で初めて導入し、これまでX線結晶構造解析では決定できなかった難易度の高い標的分子の立体構造データを取得するための基盤を強化しています。今年は横浜市に新しい研究所「中外ライフサイエンスパーク横浜」が竣工し、創薬研究に関わる全機能が集結します。バイオロジーと技術の融合が推進され、より一層革新的な医薬品を創出できる環境になると期待しています。
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