生成AIの全社ごと化に取り組む中外製薬。リスキリングの専門家と語り合う、生成AIで変わる人と組織の未来
ChatGPTなど生成AIが個々人の生活やビジネスで広まりつつある現在、生成AIを企業の生産性向上や価値創出につなげることが期待されています。生成AIをはじめ高度なAIが浸透していくと、ビジネスの前提・やり方だけでなく、企業における人と組織の在り方・マネジメントも変わっていくのではないでしょうか。今回は、「生成AIで変わる人と組織の未来」をテーマに、エクサウィザーズ「はたらくAI&DX研究所」所長の石原直子氏と、中外製薬で全社生成AI活用を推進する関沢太郎にインタビュー。企業が生成AIで成功する条件や、人と組織が成長するためのヒントを聴きました。
―企業のDX、生成AI推進における、ご自身の仕事との関わりを教えてください
石原:現在、テック系スタートアップのエクサウィザーズに所属しています。以前は長く人財マネジメントの研究を行っており、リクルートワークス研究所で20年ほど勤めていました。なぜ、テック系のスタートアップへ移り生成AIについて考えるようになったかというと、前職でリスキリングの研究をしてきたという経緯があります。今後AIをはじめとするデジタル技術がますます進化していく社会においては、働く人はリスキリングの重要性を理解し、次世代に向けて新しいスキルを学び、価値を提供し続けられる人財にならなければなりません。日本でもデジタル変革の重要性が叫ばれるなか、2019年ごろからリスキリングという言葉が聞かれ始め、そこに、近年になって生成AIという新しいムーブメントが入ってきました。
関沢:中外製薬にDXを部⾨横断で推進する「デジタル戦略推進部」が発足したのも、2019年の出来事です。私は部の発足前から当社のDXに携わっているのですが、入社時は医薬品の分析研究からキャリアをスタートして経営企画部に異動しました。経営企画部で2016年頃から、社内でのAI研究会の立ち上げや、データ利活用を促進する取り組みに関わりましたが、新たな組織をつくり全社的なムーブメントにするには時間がかかりました。
石原:全社を動かすというのは難しいですね。
関沢:はい。けれどその分、方向性が合致して動き始めた時の勢いには目を見張るものがあります。
石原:中外製薬のデジタルを使った取り組みは非常に画期的で、躍進の勢いも素晴らしいと思います。
関沢:ありがとうございます。当社の「DXの全社ごと化」においては、経営トップのコミットメント、明確なビジョンと戦略、推進体制の構築、文化風土醸成・人財育成、プロジェクト推進と成功事例創出、積極的な発信の6つの観点を大切にしてきました。これによって全社のベクトルが一致すると共に、社員の意識も変わり、DXへの勢いがついたと感じています。本日のテーマである生成AIについては、2023年8月にMicrosoftの生成AIサービス「Azure OpenAI Service」を利用した「中外版ChatGPT」を全社展開しました。そのほかにもGoogleの医療向け大規模言語モデル「Med-PaLM 2」やAmazon Web Servicesの生成AIサービス「Amazon Bedrock」など活用基盤を整備しています。
このように、比較的早期に生成AIの活用を開始することができたのは、DX推進という全社挙げてのムーブメントを醸成してきたからだと思います。目指すところは、生成AIによるバリューチェーンの圧倒的な効率化、創薬を中心としたR&D領域での新たな価値創出です。
―企業が生成AI活用を成功させる条件は何でしょう?
石原:単に「生成AIを使える環境を用意しました。社員の皆さん、ぜひ使ってください」と言っているだけでは、生成AIによって生まれる価値は大して大きくありません。現在は議事録の作成や文書の下書きなど、ルーティン業務を生成AIに代替してもらう企業が多いのですが、もっと生成AIの価値を高めるために必要なことは、“So what?”つまり、「だから何なの?」と問うことだと思うのです。業務効率化だけでなく、「生成AIによって解決しなければいけないものはなにか?」という思考に辿り着いている企業はごく少数です。『葬送のフリーレン』という漫画、ご存知ですか?
関沢:はい、知っています。今、流行っていますよね。
石原:この漫画のなかで、「魔法はイメージの世界。イメージできないことは実現できない」という趣旨のセリフが何度も出てくるのですが、生成AIもこれと同じで、「これを使ったらこんなことができそう」「この問題はデジタルで解決できるはず」など、うっすらとでもいいからイメージを持つことが非常に重要だと思います。
関沢:まさに個々人の想像力が大切ということですね。想像力を高めるためには、組織として様々な業務プロセスを可視化し、解像度を高めていくことも必要だと感じます。また、社員のモチベーションを高めていくには「こんなこともできる」「あんなこともできる」という、スモールサクセスを少しずつ示していくのが良いのではと考えています。
石原:成功事例を提示していく、ということですね。
関沢:はい、もう1つ。実際、DX推進と同様に、下地となる基盤を確実に作り、「おのずと学び続ける組織」として人と組織が成長できるかどうかという点です。
石原:私もそう思います。「学ぶのが好き」「新しいことを始めるのが楽しい」という人たちがどんどん成功していく様子を見て、周りの人たちが、「あの人たちすごい」「うらやましい」と刺激を受けることが、全社挙げてのムーブメントを醸成するには不可欠です。
関沢:仰る通りで、ポジティブ思考や刺激が循環するエコシステムの構築が重要なのだと感じます。当社でも「楽しそう」「面白そう」という感覚を皆でシェアできたからこそ、全社でデジタルを活用していこうという雰囲気・文化が生まれたのだと思います。そういった下地もあって、生成AIという新しい取り組みにもポジティブにチャレンジできたのでしょう。
石原:よくも悪くも日本のビジネスパーソンは業務と上からの指示に忠実であり、「なるべく余計なことをしない方が、結果として得」ということを学んでいます。日本では「社会人が仕事以外で学びに使っている時間は週1時間以下」というデータがありますが、言われたことをやっておけば大丈夫、という社会であればそれで問題はなかった。仕事に一生懸命取り組んでいれば、仕事以外で学ばなくてもこと足りたのです。
しかし新しいテクノロジーが次々と登場してくるこれからの時代においては、「チャレンジした方が得」「新しいことをする方が楽しそう」というように、挑戦することに対するインセンティブを用意しないと、個人も企業も、いつの間にか取り残されることになってしまうでしょう。
―リスキリングと日本人はなじまない?
関沢:そうした日本人独特の思考や働き方から考えると、そもそも「リスキリングと日本人はなじまない」ということでしょうか?
石原:いえ、私はむしろ、日本人とリスキリングの相性は悪くないと思っています。たとえば関沢さんは研究者としてキャリアをスタートしたのち、まったく畑違いの経営企画へ異動し、さらにDXへと移られたのですよね。こうした働き方は欧州やアメリカではほとんど考えられません。でも日本の企業では雇用を維持するためにこうした「かけ離れた部署への異動」が発生することは多いのです。必然的に社員はまったく新しいスキルを身につける必要に迫られますから、実は、日本人は自然とリスキリングを体感していると思うのです。
関沢:日本独特の人や組織に対する考え方が、そもそもリスキリングにつながっているということなのですね。人の異動と共に知見やスキルも移行され、組織としてのリスキリングにもつながるかもしれません。一方で思うのがそれは受動的なリスキリングであって、今求められているのは能動的なリスキリングであるという点です。そうすると日本人はあまり慣れていない。リスキリングのチャンスがありながらも、「何から始めていいか分からない」「生成AI推進のための仕事が増える」といった理由で前へ踏み出せない方もいらっしゃると思います。生成AI時代において、社員のリスキリングのモチベーションを高めるために、マネジメントが重視すべきポイントは何ですか?
石原:「どんな方向へビジネスを持っていきたいか」「どんなビジネスをやりたいから、どんなスキルを持つ人財がどれだけ必要か」と議論し示すことが大切だと思います。「なんでもいいので、好きなことを新しく学んでください」と社員に指示するのではなく、まずは、ビジネスの方向性を明確に示すこと。そこから個々人が逆算し、「自分が学ぶべき新たな知識やスキルとは何か」を考えることが重要だと思います。
―生成AI時代において、企業は人と組織の在り方・マネジメントをどう考えていくべきでしょうか?
関沢:AIによりアウトプット創出のスピードと質が格段に向上すると、これまでと同じような評価の仕方・人財マネジメントのやり方では立ち行かなくなるでしょう。より重要となるのはアウトカム思考で、「その取り組みがビジネスや社会にどれだけ影響があり、どのような価値を提供しているのか」を個人だけでなく組織としても明確にする。この明確化と意思決定はAIでなく人がやる必要があり、それらのケイパビリティを評価していくことが重要になってくるでしょう。石原さんはAIの活用が前提となる社会において、組織を未来へ向けて成長させていくには、人と組織の関係性をどのように変えていくべきとお考えですか?
石原:まずは、「人財を育成するのに、本当に従来ほど長い時間が必要なのか?」ということを考えなければいけないと思います。これまで「下積み時代に経験しなければならない」と考えられてきたことは、ほとんど生成AIが代替してくれますから。そうなると、若い人たちはテクノロジーを使いこなしてあっという間に実力をつけていくでしょうし、そうなれば従来の育成期間を経ず成長したことなどもはや問題ではなく、それよりも生まれた時間をどう生かすかが重要だと思うのです。
関沢:これらの変化が必ず起こるという前提で、人と組織に対する考え方を今から変えていく必要があると認識していますが、いかがですか。
石原:そう思います。現在、社会では現役世代が減少する「2025年問題」が騒がれていますが、まさにドンピシャのタイミングで生成AIが登場し、勢いづいてきたなと実感しています。2001年から2025年までの四半世紀は、言ってみれば「20世紀の続き」であり、まだ前時代的な考え方や働き方が根強く残っていました。しかしDXや生成AIが普及し、社会の構造も大きく変化する2025年という節目を超えると、新しい景色が広がると考えています。然るべきそのタイミングに向けて、「これから我が社はどのようなスキルを持った人財が必要なのか」「自分がその人財となるにはどうすべきなのか」をそろそろ真剣に考える時期に入ったのではないでしょうか。
インタビュア:桑子朋子(中外製薬株式会社 デジタル戦略推進部/広報IR部)