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中外製薬の新しい⼈財育成の挑戦!!ベンチャー企業へのレンタル移籍が社員に与えるインパクトとは

「⽇本的な⼈材の流動化を創出する」をミッションに掲げるローンディール社が提供する、ベンチャー企業で大企業⼈材が一定期間働く仕組みである「レンタル移籍」に中外製薬も注⽬し、「越境プログラム」と銘打ってこれまでも複数企業へ社員を送り出してきました。今回はその⼀⼈であり、「株式会社チカク」へ1年間出向した村⽥和浩にインタビュー。経営のスピード感やダイナミズム、新規ビジネス創出など、⾃業務と異なる体験を通してどのようなことが得られたか、リアルなストーリーでお伝えします。

村⽥ 和浩(MA本部オンコロジーメディカルサイエンス部オンコロジーメディカル4グループ)
2007年に医薬情報担当者として⼊社後、市販後臨床研究を企画・推進企画する専⾨部署へ異動。
その後、医療関係者とのコミュニケーション企画の推進を担当。

社外に出ることで、⾃分にどのような変化が起きるのか⾒てみたい

--越境プログラムを知ったきっかけと、参加するに至った経緯を教えてください

越境プログラムは、全社宛てのメールで告知されていたので、以前から知っていました。そのときは「おもしろそうだな」と思ったくらいでしたが、2022年の冬頃、当時の上司から「越境プログラムに参加してみないか」と声をかけられました。
当時、私には「⾃分の強みや弱みってなんだろう」「この先、⾃分の⼒で何かを成し遂げられるのだろうか」という漠然とした不安がありました。越境プログラムでの体験が⾃業務において、どう役⽴つのかはあまりイメージできませんでしたが、ひとまず現在の環境から外へ出て、⾃分にどのような変化が起きるのかみてみたかったというのが、プログラム参加を決めたきっかけです。

--レンタル移籍先のベンチャーにチカクを選んだのはなぜですか︖

自分と受け入れ先となるベンチャーのマッチングでレンタル移籍先は決まります。移籍先の特徴として希望したのは、⼈とのコミュニケーションを事業ドメインにしている企業であるということ。⾃分の過去や現在を振り返り、「最も価値を感じているものは何か︖」と考えたとき、浮かんできたのが「⼈とのコミュニケーション」でした。チカクは、高齢の方にデジタルの恩恵を届けていくことを志しているエイジテック・スタートアップです。いずれ、誰しも高齢になるわけで、普遍的な事象から生じる課題に取り組んでいるという点に興味を持ち、応募しました。

--2023年4月に出向し、最初はどんな業務を担当したのですか? 

現在、チカクは「まごチャンネル」というサービスを提供していますが、当時、新サービス「ちかく」を⽴ち上げようとしていました。サービスの概要はほぼ固まっていましたが、実際の運⽤⽅法やアプリ、デバイスの機能などについてはこれから決定するという段階で、社内では徹底的に議論が交わされていました。私もその議論に加わるとともに、サービスの対象者として想定される層へのインタビューにも参加しました。

--どのような層へインタビューをしたのですか?

 簡単にいうと「ちかく」は「離れて暮らす家族がまるで近くに暮らしているように感じられるサービス」で、“デジタル近居”サービスと呼ばれています。対象となるのは主に40〜60代で、⼀⼈暮らしの親がいる⽅でした。センサーなどを使った既存の⾒守りサービスなどではどうしても「監視されている」という印象を親側に持たせがちです。そこで考えられたのが、テレビ電話でコミュニケーションできる仕組みを活⽤した⾒守りサービスです。そのサービスのターゲットとなる⽅を対象にインタビューして、サービスの仕様決定につなげていきました。

「今やる」というスピード感、「失敗」の定義。あらゆることが自分の常識と違っていた 

--ほかにはどのようなことを行いましたか?

レンタル移籍を開始して、すぐ求められたのは「ビジネスに直結できる、新しいエビデンスを創出してほしい」ということでした。これまで私は中外製薬で臨床研究やデータ創出などの業務を担当してきたため、その経験を買われて指⽰されたのだと思いますが、結論からいえば、エビデンスを創出することはできませんでした。なぜかというと、当初はチカクの仕事の進め方に順応できなかったからです。
チカクの場合、業務を進める際には「1週間でまとめてほしい」「来週までにやりましょう」ということがなく「今、決めましょう」「今、やりましょう」が基本でした。この進め方・スピード感は中外製薬と⼤きく異なり、最初はなかなかなじむことができませんでした。
しかし、「今やる」「すぐやる」には理由があって、資金が十分でないスタートアップにとっては、それこそ今この瞬間にもどんどん資⾦が減ってしまい、事業継続に直結する問題だからです。
「クオリティは10%でもいいから、すぐにやって共有する」という考え方で、まず叩き台を作り、それをみんなで議論して詰めていく。「叩き台をつくり、叩かれ役になる⼈が一番素晴らしい」ということもチカクで学びました。
また、チカクはメンバー全員がそのスピードで動いているというのも、驚きました。中外では「1週間かかっても、かっちりしたものを持ってきてほしい」という感じで仕事を進めていたので、ある種のカルチャーショックを感じました。また、 「仕事をする上で、何を『失敗』と呼ぶか︖」という点も、⼤きく違うと感じました。チカクの場合、「うまくいかなかったから失敗」ではなく、「たとえうまくいかなかったとしても、うまくいかないことがわかった。それは今までわからなかったことなのだから、それも一つの学び」と考えます。
それから、自分がどんなエビデンスを出したいのか?それはなぜなのか?チカクにとってどんなメリットがあるのか?そういったことを考えるに至らなかった。どんなエビデンスなら取得できそうかといった近視眼的なこと事ばかりに拘泥して、自分がどうしたいのかという根本がなかったと、今振り返って思います。 

--ほかにも、得られた気づきはありましたか︖

ベンチャー企業の多くがそうだと思うのですが、メンバー全員が運命共同体であり、⼀つの⽬標に向かって、どんな形でもいいからコミットする。そして、成果が出にくい部分は結果よりも改善できるかどうかに重きを置き、組織や事業としてどこまで進めたかを最重要視する。こうした文化にも驚きました。中外製薬の場合、個⼈評価がベースにあり、ここがチカクとの⼤きな違いでした。「相⼿からどう思われているのだろう」「⾃分はどう評価されているのだろう」と気になってしかたなくて、その思考の癖に苦しみ、「最初の⼀歩を踏み出せない」「⾃分から仕事を取りにいけない」といった負のサイクルが続きました。
 
--どうやってそれを乗り越えたのですか?
 積極的に数をこなすというマインドチェンジと追い込まれたことだと思います。
たとえば会議中にちょっと気づいたことを発⾔するとか、誰かが何かで困っていたら「それ、⾃分がやりますよ」と手を挙げるとか…。それから、周囲の⼈に「⾃分の⼿に負えそうにないなら、期待値をコントロールすればいい」と⾔われたことも⼤きかったですね。もし⽬の前の課題が⾃分の⼿に余るようなら、「⾃分の限界はこの辺なので、ここまでしかできません」といって、さっさとボールを⼿放してしまえば、そんな⼤事故になることもありません。
そして、「ちかく」の発売が迫る中で、協業先との契約やそれに付随して対応しなければならない業務が、レンタル移籍期間の後半で数多く発生しました。とにかくこなすしかない、周囲の目線とかそういうものを気にしている場合ではなく、追い込まれた状況になりました。それらのことが重なり、最終的には自分の中の壁を乗り越えられたのだと思います。

「作業者目線」ではなく、「管理者目線」を持つことを意識する

--企業文化の違いで苦労した点も多かったと思いますが、これまでの経験があったからこそ成し遂げられた、ということもありますか?

レンタル移籍が終了した際のローンディール社によるフォローアップミーティングで、「粘り強く物事に取り組むのが、村⽥さんの強みですね」というフィードバックをいただきました。そのとき、「⾃分にはそういう⼀⾯もあるのだな」と改めて認識し、そうした経験がチカクでも役⽴ったのかなと思いました。
今はチカクで体験したことをどう中外製薬に還元していくかと考えています。これはレンタル移籍初日に、チカクの代表取締役である梶原さんとランチしたときに⾔われたことなのですが、梶原さんがそばにあった⽖楊枝を1本とり、一部分を折ってから「これ、転がしたら左右どちらに進むと思いますか」って聞いたのです。「左側ですかね」と私が⾔うと、「まずは転がしてみればいいんですよ、そうしたらわかるじゃないですか」と。
悩んだり考えたりする前にまずやってみて、どういう結果が出るかみてみればいい。たとえ苦⼿だと思っても、もしかしたらそれは⾃分の思い込みで、やってみたら案外簡単かもしれないし、予想通りしんどいかもしれない。でもとりあえずやってみて、それから判断すれば良いという、今までの自分に無かった考え方ができるようになったと思います。今後、⾃分がそういう姿勢で仕事に取り組んでいくことで、周囲に何か伝えることができればと思っています。

--チカクで学んだことのうち、自業務に活かせると感じることはありますか?

 「作業者⽬線ではなく、管理者⽬線で仕事をする」ということです。チカクで「⾃分がやります!」と⾔って引き受けた業務がありました。でも作業に集中するあまり、「何のために、その作業をやっているのか︖」「その作業は全⾏程のどこに位置していて、それが進まないとどのようなリスクがあるのか︖」などを考えずに進めていました。そのことについて、メンターの方から「作業者目線から抜け出してください。高い視座をもって業務を見てください」と指摘されたことがあったのです。俯瞰して全体像を把握しながら作業しなければ、全体のスピード感にもついていくことができません。管理者⽬線だからこそ⾒えることもあるので、そうした視座は今後も⾃業務で⽣かしていきたいと思います。

--貴重なお話をありがとうございました。最後に、一言お願いします。

チカクの方から「選択肢を狭めることこそ、リスクになる」と⾔われたことがあります。その⾔葉が⼼に刺さり、「⾃分も選択肢を広げることを⼤事にしてきたつもりだったけど、特にここ10年くらいは無意識のうちに反対の道を歩んできたな」と改めて気づかされました。
⾃分の肩書から⼀旦離れ、社会における⾃分の⽴ち位置を⾒直しながら、「⾃分には何ができるのだろう」「どれくらいの⼒があるのだろう」と可能性を探ることができたので、この越境プログラムへのチャレンジと学びを、次の仕事にしっかりと活かしていきたいです。

インタビュア:村上雅生子(デジタル戦略推進部デジタルリソースグループ)

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