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中分子医薬品の創薬プロセスの効率化にむけて。研究員と社内エンジニアがアジャイル開発で挑んだ、原薬の結晶化判定アプリ開発

ニーズを迅速に把握し、機敏かつ柔軟にプロジェクトを進める手法として注目される「アジャイル(Agile)開発」。中外製薬には、アジャイルなアプリケーション内製開発を行うチーム「tech工房」があります。今回は、tech工房が初めて伴走したプロジェクトである、原薬の結晶化判定を自動化するアプリの開発メンバーを取材。アジャイル開発の効果や学びについて、創薬研究を行う研究員たちとtech工房メンバーの対談をお届けします。


対談メンバー
谷田 智嗣(トップ写真右):製薬企画推進部推進2G課長
本プロジェクトのプロダクトオーナー。現在は医薬品開発における原薬研究、製剤研究、品質保証、品質管理などの一連のプロセス開発(CMC開発)におけるプロジェクトマネジメントを担当

請川 智哉(トップ写真左):製剤研究部製剤基盤G
医薬品のプレフォーミュレーション研究、特に結晶化や物性評価を担当。本プロジェクトの現在のプロダクトオーナー

後藤 俊樹(トップ写真右から2番目):バイオロジー基盤研究部バイオインフォマティクスG
NGS(次世代シーケンサー)解析や画像解析を行うデータサイエンティスト。本プロジェクトでは結晶判定アプリの画像認識技術の導入を担当。

小山 健一(トップ写真左から2番目):デジタル戦略推進部アジャイル開発推進G兼モダリティ基盤研究部データエンジニアリングG
アプリケーション内製開発チーム「tech工房」のメンバーとして、兼務本部である研究本部のアジャイル開発プロジェクトの企画推進を担当。


--医薬品の生産過程における原薬の結晶化とは、どのようなプロセスなのですか?

請川:原薬の結晶化は、高品質な医薬品を安定的に大量生産するための重要なプロセスの一つです。原薬とは、医薬品に含まれている有効成分そのものを指します。医薬品の製造過程において、溶媒に溶けた状態の原薬を結晶化することで、溶媒に含まれる原薬以外の不純物を取り除き、高純度の有効成分を得ることができます。
結晶化の方法は様々ありますが、研究員は実験をもとに、最適な結晶化条件を日々探索しています。

結晶化のしやすさは、結晶化する化合物の分子量により異なります。一般的に低分子化合物(分子量500以下)は結晶化しやすく、実験回数も30回程度で十分な場合が多いです。一方、中分子化合物(分子量500~2,000)は結晶化が難しく、様々な条件を変えながら1,000回以上の実験を重ねても結晶化しないことがあり、検討すべき条件の組み合わせの量が飛躍的に増加しています。

--結晶化判定アプリの開発のきっかけを教えてください。

谷田:当社は創薬技術において、抗体と低分子で世界トップレベルの技術力を持っていますが、第三の創薬モダリティとして中分子に注力しています。本プロジェクトは、中分子創薬*における膨大な実験数と、その結果である結晶画像の確認プロセスの負担を軽減したいという思いで立ち上げました。
医薬品を一日でも早く世界中の患者さんに届けるためには、機械学習を活用したアプローチが不可欠だったのです。

*中分子創薬について詳しくはこちら(News Picks記事)

--このアプリはどのような仕組みで動くのでしょうか。

後藤:このアプリは、深層学習を用いて結晶判定を行います。研究員が目視で判断した結晶と非結晶の画像をそれぞれ500枚以上ずつデータとして用意し、モデルがその画像データから自動的に結晶判定に必要な特徴を捉える仕組みになっています。


後藤:こちらの写真は実際の結晶化判定アプリの画面です。赤い帯がついている画像は結晶が確認できます。アプリでは判定の確からしさも表示され、研究員の確認作業をサポートしています。実験結果の画像をアプリに入力し数分で1,000枚近い画像の判定が自動で完了します。そのため、研究員は新たな実験やその他のより人的リソースを割くべき作業に集中することができます。

--アジャイル開発導入において何を心がけましたか?

小山:心がけたのは、ユーザーである研究者の皆さんからの要望や使用感などのフィードバックを収集し、機能を実装し改善するサイクル(スプリント)を短いスパンで高速に回すことでした。

従来のウォーターフォール型開発では、要件定義の精緻化に時間を割き、要件が確定してからシステムの設計・実装に移行します。開発段階で新たな要件が出てきてもシステムの仕様に反映できないことがあります。また、開発を外注している場合には要件変更時に追加発注を伴い、開発コストが増大する可能性もあります。アジャイル開発では、計画や状況が変化することを前提とします。アジャイル開発手法の一つであるスクラムでは、スプリントと呼ばれる2-3週間程度の時間枠で開発を行い、スプリント終了時にはユーザーが利用できるアプリをリリースします。実際に動くアプリがあることでユーザーはフィードバックを出しやすく、エンジニアはフィードバックに基づいて次のスプリントで改善に繋げることができます。

具体例として、今回のプロジェクトでは、当初マウス操作で画像を選択するUI(User Interface)を実装していたところ、キーボード操作でも選択できるようにしたいという追加の要望がありました。些細なことのように思えますが、実際にアプリを使用する研究員の方にとっては、こうした細かい仕様が作業の効率化に大きく影響します。実際に触れるアプリを素早く提示したことで、こうしたフィードバックを迅速に得られたと考えています。

--アジャイル開発手法の導入により、プロジェクトではどのような影響がありましたか?

後藤:解析業務の延長として内製アプリの実装は経験がありましたが、今回のような複雑なインターフェースを私たちだけで時間をかけて作りこむことは難しく、tech工房の皆さんに協力してもらえたことはこのアプリのビジネス実装に大きな影響を与えました。
ユーザーからの要望をクイックに取り入れ改修することで、短期間にどんどん使いやすいアプリに変化していきました。

請川:私は当時、このアプリを使用する研究員の一人でした。アジャイル開発という手法が用いられていることは意識していませんでしたが、フィードバックを出すと翌月や翌々月にはすぐに改善されていて、内製開発のスピード感に驚いていました。

--専門の異なる部門との協働において、重視した点は何ですか?

小山:私たちは、結晶化判定に関わる業務プロセスを深く理解し、ユーザー心理に共感することを重視しました。そのために、サービスデザインの手法を用いて業務プロセスと課題の洗い出しを行いました。結晶化判定の各工程を細かく分解し、研究員の心理状態を丁寧にヒアリングすることで、ユーザーが直面する具体的な問題を明確にしました。業務プロセスへの理解が深まることで、ユーザーの期待とプロダクトのズレを最小限に抑え、本当に価値のあるプロダクトを提供できると実感しています。

実際に使われた業務手順の洗い出しの様子。各作業に対する研究員の心理まで細かく記載されている。

谷田:業務プロセスの洗い出しは、多くの時間をかけて実施しましたが、その価値は大きかったです。私たち研究員も、ここまで業務を深く理解してもらえるとは正直思っていませんでした。しかし、この過程を通じて、研究の現場や手順に潜む負荷を正確に共有し、どこに課題があるのかを明確にすることができました。社内メンバーだからこそ、実験の現場や研究員の本音をすべて伝えられたと感じています。

後藤:アプリ開発では外部パートナー企業との連携も一部必要でしたが、その際、内製開発チームであるtech工房の支援は大きな助けとなりました。tech工房は業務プロセスや課題、デジタル技術に精通しており、外部パートナーとのやりとりでも重要な役割を果たしてくれました。tech工房が共通言語を見つけ、通訳やアドバイザーとしての役割を担ってくれたおかげで、プロジェクトを安心して進めることができました。結果として、スムーズなコミュニケーションと効果的な開発が実現しました。

--ユーザー評価の高いアジャイル開発、今回のプロジェクトで見えた課題はありましたか?

小山:今回のプロジェクトを通じて、ビジネス側が求めるスピードに応えるためには、まだ課題が残っていると感じました。特に、従来のIT開発プロセスの社内標準はウォーターフォール開発を前提としており、アジャイル開発に適したプロセスの策定が必要だと考えます。たとえば、軽微なシステム改修については、承認プロセスを簡略化することが必要でしょう。アジリティを損なう要素は設計開発といった「狭義の」開発以外にも存在します。これらを一つ一つ解消していくことが重要です。

--ありがとうございます。最後に、医薬品の研究開発におけるアジャイル開発の導入への期待をお聞かせください。

谷田:まだこの世に存在しない医薬品を待っている患者さんが世界中にたくさんいます。医薬品の開発が1日でも遅れると、その医薬品を必要とする患者さんに届けることができません。今回のアプリ開発を通じ、アジャイル開発は従来のウォーターフォール開発に比べ、スピードやユーザーからのフィードバックを柔軟に取り入れることによるアプリの最適化において利点があると実感しました。この経験も踏まえて、これからも私たちの医薬品を少しでも早く患者さんに届けるために、研究開発に取り組んでいきます。

後藤:今回取り組んだ結晶化判定プロセスにとどまらず、さらなる効率化と新たなインサイトの抽出を目指しています。医薬品の生産プロセスを最適化し、迅速に患者さんに届けるために、新しい技術や方法を取り入れ、生産性を向上する挑戦を続けていきます。

請川:私たちの仕事は、単に医薬品を作るだけでなく、その薬を必要とされる場所すべてに確実に届けることです。100名分の医薬品しか作れなければ、100名の患者さんにしか届けられません。結晶化プロセスは医薬品の大量生産の要となるプロセスの一つであり、今回のプロジェクトはその効率化に貢献するものでした。患者さんの命を預かる重責を胸に、日々努力を続けています。

小山:今回の取り組みを通じ、試行錯誤しながら未知の領域に挑戦していく中外の研究所ならではのカルチャーと、変化する状況に適応しながらこれまでにないプロダクトを創り上げていくアジャイル開発の考え方との間に非常に高い親和性を感じました。
今後も、研究開発の領域におけるDXを推進し、私たちtech工房の強みであるアジャイル内製開発により研究者にとって価値のあるアプリケーションを共創することで、患者さんにより良い医薬品をより速く届けることに貢献していきたいです。

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インタビュー・文(胡桃 里枝子 中外製薬デジタル戦略推進部)