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ヒト予測科学のモデリング&シミュレーションで、臨床開発の常識を変えていく。中外製薬トランスレーショナルリサーチ本部の取組み

こんにちは、CHUGAI DIGITALです。
研究開発型の製薬企業である中外製薬が、抗体医薬品、中分子医薬品をはじめとする開発候補品を、より早く、より多くの患者さんに届けるには、臨床開発にかかる時間とコストを下げ成功確率を高めることが不可欠です。
この課題に対し、当社が注力する領域の1つがヒト予測科学です。ヒト予測科学とは、ヒトの身体の中での薬の動態や生体反応をモデリング&シミュレーションするサイエンスのこと。今回は、トランスレーショナルリサーチ本部 医科学薬理部長の寺尾公男に聴きました。

寺尾公男(トランスレーショナルリサーチ本部医科学薬理部長)

プロフィール
大学で生化学を専攻し、中外製薬に入社。薬物動態の基礎研究に従事した後、2000年より臨床薬理機能に異動し、中外開発品の抗リウマチ薬の臨床開発を担当。2018年よりトランスレーショナルリサーチ本部 臨床薬理部長、その後非臨床DMPK部門(後期)と臨床薬理機能を統合し医科学薬理部長。

臨床開発の常識を変えたいという想いをもつ寺尾さん。どんな課題が?

note読者の皆さまこんにちは。寺尾です。トランスレーショナルリサーチ本部の登場ははじめてですね。どうぞよろしくお願いいたします。トランスレーショナルリサーチというのは、日本語に直訳すると「橋渡し研究」です。医薬品のプロジェクトにおいては、創薬研究(基礎研究+非臨床研究)から臨床開発への橋渡し研究を指します。

新薬開発の課題として、生産性の低下があります。業界全体で同じ標的分子に対する競合開発品が増えたこと、開発候補品の分子改変等の技術的な難易度が上がっていること、開発途中で予期せぬ毒性が判明し開発を断念すること等が要因と言われています。臨床試験は第I相→第II相→第III相と順に規模を拡大しながら進んでいきます(図1)。とくに、何年もかけて第Ⅲ相の臨床試験まで進んだ開発候補品が、生産体制を整備し、治験を推進したにもかかわらず、安全性や有効性が示せなかったとなると、新薬開発プロセス全体の生産性は大きく損なわれます。また、治験には多数の患者さんにご協力をいただくため、成功確率を上げていくことは非常に大切です。この課題に対して、私たちのグループが注力するのが「ヒト予測科学の精緻化」です。

図1:新薬開発のプロセスと期間
 新薬開発は一般に9から16年の期間と数千億円のコストがかかるとされます。薬開発のプロセスと期間について詳しくはこちら

課題解決の鍵となる「ヒト予測科学の精緻化」に向けた戦略とは?

新薬の開発においてはRight Dose(適切な投与量) 、Right Patient(適切な対象患者)、Right Timing (適切な病気の進行状況)という3つのRightを明らかにすることが重要です。3つのRightを見極めるには、図2のように、投与された薬がヒトの身体の中の疾患部位まで到達するまで(薬物動態 pharmacokinetics)、効果発現部位に到達した薬がタンパク質や遺伝子レベルの標的分子に対して作用を発揮(生体反応 biological response)するまでのプロセスを包括して把握する必要があります。その上で臨床有用性や臨床上の安全性の懸念の有無を予測することになります。

図2 医薬品の投与から効果発現までのプロセス

薬物動態の段階までは、血液検査を行うことで、薬の血中濃度の推移を把握することができます。一方で、薬効発現部位に薬が到達してからの状況は、病変のある組織を採取しての検査(バイオプシー)が必要となります。しかし、これは患者さんの負担が大きいため、血液や尿中の成分からバイオマーカーを測定して体の中で何が起きているかを間接的に見て予測することが一般的なアプローチになります。

目指しているところは、動物実験では十分な効果を発揮していた薬剤はヒトでも同じことが起きているのかきちんとモニタリングして、先に述べた3つのRightを特定することです。体の中では化学反応が起きているわけで、その物質の変化を数理学をもちいて記述することが理論上は可能です。

その中で私たちは、様々な観測データの取得・解析により、ヒトの身体の中での薬の動態や生体反応を表現する数式(モデル)を構築。これまでの常識では「ヒトで実際に試してみる(=検証する)」しかなった臨床試験のステップをモデルを用いて予めバーチャルにシミュレーションし、仮説を立案した上で治験を設計するという方向に舵を切っています。

この試みを達成できれば、適切な開発候補品を早期に選別できるだけでなく、患者の数や適応疾患といった臨床試験の適切な規模や期間も適正化できます。現在 は構築したモデルの予測精度を実際の治験の結果から検証・リモデリングするという段階ですが、将来的には臨床試験そのものをバーチャルに置き換えることも可能になるかもしれません。現実に薬物相互作用試験と呼ばれる臨床試験の1ステップなどは、シミュレーションにより臨床試験を実施しないで承認されるケースが増えてい ます。私は新薬開発プロセスにおいて、ヒト予測科学の精緻化による生産性の向上は必須と思っています。

図3 モデリング&シミュレーションによる臨床試験のプロセス変革

ヒトの身体の中の薬の動態・生体反応のモデリング&シミュレーション。データと手法は?

まず1つは科学論文です。薬の反応を予測したいときに、全体の地図のピースとなるさまざま な分子やタンパク質、細胞群の情報を集められます。以前は研究員が人力と目利き力で何百と論文を読み込んで解釈していましたが、いまはAIの方が圧倒的に早い。これはダイレクトに生産性の向上につながります。次に必要なのは、論文には未だ正解が書かれていない、ピースとピースの間の相互作用をもたらす重要因子の情報です。たとえば、炎症性疾患を考えるときに分子レベルの変化で言えばIL-6(インターロイキン-6)*など炎症反応に関わるバイオマーカーは、薬の反応に関わる重要因子の1つです。

IL-6(インターロイキン-6)*とは
IL-6は多彩な生理作用を有するサイトカインと呼ばれる物質の一種で、免疫応答や炎症反応の調節において重要な役割を果たしています。

中外製薬おしえてリウマチ> お役立ち情報> IL-6と関連疾患
https://chugai-ra.jp/movie/il-6.html 

その他の重要因子として、臨床デジタルデータがあります。例えば患者さんのかゆい、痛いといった自覚症状のデータは、薬剤の価値を表現する一つのパラメータになっています。自覚症状は、朝、昼、夜やその日の天気などいろいろな因子で変化します。そこで、24時間モニタリングを継続するためにウェアラブルデバイスとの連携が大変重要で、最も良い状態や悪い状態を取り逃すことなくモニタリングすることが可能になる時代が来ています。このようにたくさんの分子群、細胞群などのデータに加え臨床デジタルデータを得ることができれば、全体の地図を複数の数理モデルで表現できます。その後、目的に合わせて適切なモデルをもちいて投与量予測、患者選択などについての仮説を立てていきます(図4参照)。

図4 いろいろなモデルを用いて薬剤の反応を予測

私たちトランスレーショナルリサーチ本部では、バイオマーカーの専門家と薬物動態、臨床薬理学の専門家さらに測定技術専門家やオルガノイドなどの最新評価技術専門家が同じ部門で研究していますが、臨床―非臨床が一気通貫した部門あるいはwetとdryの専門家が一つの部門にいる組織構造は製薬業界では珍しい体制だと思います。部内のメンバーの専門領域も、医師、獣医、薬剤師、コンピュータサイエンス、理学、農学、工学の専門家もいます。こうした多様性のある人財集団が1つの部門の中でお互いに切磋琢磨しながら成長する組織になっており、深い知識と広い視野で議論ができる環境なので、非常に面白いですね。Innovativeな仕事を進めるためには多様性のある集団で議論を重ね、挑戦していくことは大切です。

ヒト予測科学の取組みはどこまで進んだ?

実験データから薬物動態をコンピュータ上にモデル構築する研究の1つに、患者間差やそのばらつきの要因を特定する母集団薬物動態解析法があります。この解析法は古くからある技術で、当社では30年 以上前から医薬品開発に用いていました。ただ当時は方法論の精度もコンピュータの性能も低く、実際に動物やヒトに投与して反応を確かめる「検証科学」が中心の世界でした。しかし今は、コンピュータの性能が飛躍的に向上したこと、Multiplex測定系(一度にたくさんの測定項目の同時測定が可能となった技術)の活用など大量のデータが得られるようになり、薬物動態や薬剤応答の個人間差の原因をある程度特定できるようになりました。また、AI利活用によりデータ量が少なくても工夫して生体反応をモデル構築することも経験しています。当社は、開発候補品のヒト消化管での吸収率を薬の分子構造データのみから予測するAIモデル構築に成功するなど、「ヒト予測科学のモデリング&シミュレーション」を取り入れる挑戦を継続しており、 自社開発の医薬品においても投与量予測、治験の効率化の実績が積まれています。

従来の「検証科学」が「予測科学」によって置き換わるのか?

もちろん、従来の「検証科学」が完全に無くなることはありません。臨床試験において、治験段階で副作用を調べることは重要で、想定外の副作用を知っておくためにも健康成人を対象に行う第Ⅰ相試験および、多数の患者さんで薬の有効性や安全性を検証する第Ⅲ相試験という2つのステップは今後も欠かせないでしょう。想定外の有害事象の背後にある「OFF Target効果(目的とした標的分子以外に薬剤が作用して現れる反応)」をきちんとデータ取得し、市販後の情報提供が可能となるように医薬品開発を進めます。モデリング&シミュレーションには限界もあることを自分たちは理解し謙虚にデータ検討を行っています。正攻法でいく姿勢は当社の初代創始者である上野十蔵の姿勢でもありました。

夢を語ってしまうと、薬が適応となる疾患の範囲や最適な投与頻度・投与量(用法・用量)を検証する第Ⅱ相試験は、過去のデータやモデルの工夫で多くの部分を「予測科学」に置き換えられるようになると期待しています。予測は実験事実を加味してその揺らぎ幅を小さくすることが肝要ですので、ヒト外挿性の高い実験系の確立が重要です。現在では臨床開発に携わる開発メンバや治験を担当される医師、薬剤師やコメディカルのかたがたにも私たちの取組みを理解いただき、データ集積はじめ様々な場面で協力を得られるようになってきました。

この領域の中外の特色、開発メンバーのモチベーションは?

中外製薬の臨床開発の醍醐味は、解析するデータに事欠くことがないため経験値が日々蓄積されることにあり、みな楽しんで仕事に取り組んでいると思います。抗体医薬品・中分子医薬品という独自のモダリティをもつ自社開発品だけでなく、戦略的アライアンスを結ぶ世界トップのロシュ製品のデータもあるので、非常に多くの医薬品のデータを扱え、他社では得られない経験値を積むことができる。「新しい」の連続ですね。自分たちの目指すところが患者さんの望まれているものにつながっているので、やりがいがあります。興味をもっていただいたら、当社の説明会やイベントに参加いただき、私たち研究員と直接話してみてください。各々が熱い想いをもち、独創性を重んじながら課題に取り組んでいる雰囲気や、臨床開発におけるAI・データ活用のより詳しい情報をお話しできると思います。

みんなにも読んでほしいですか?

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