テクノロジーが変える臨床試験:DCTが拓く「患者さんから始まる治療開発」
分散化臨床試験(Decentralized Clinical Trial、以下DCT)は、医療機関への来院に依存しない新しい臨床試験の手法です。今回のnoteでは、2022年に日本初のフルリモート治験を実施した愛知がんセンターの谷口浩也先生、国立がん研究センター中央病院でDCTプラットフォームを構築した伊藤久裕先生を招き、中外製薬のDCTを推進するタスクフォースのメンバーの嘉治翔子と対談を開催。DCTの意義、「患者さん中心の医療」の実現に向けた挑戦と課題解決について語っていただきました。
取材実施日:2024年9月6日
取材場所:オンライン対談
【プロフィール】
谷口浩也 愛知県がんセンター 薬物療法部 医長(写真中央)
医学博士。専門は腫瘍内科(主に消化管がん)。日本内科学会総合内科専門医、日本消化器病学会消化器病専門医・消化器病指導医、日本臨床腫瘍学会がん薬物療法専門医・協議員、日本癌学会 評議員。
伊藤久裕 国立がん研究センター中央病院 臨床研究支援部門 臨床研究支援室 室長 (写真左)
医学博士。グローバル製薬会社にて臨床開発に携わった後、国立がん研究センター中央病院及び山梨大学にて、臨床研究支援、プロジェクトマネジャー(PM)管理、医療DX(遠隔医療支援、DCT)研究等に従事。Association of Clinical Research Professionals(ACRP)、臨床薬理学会のメンバー。
嘉治翔子 株式会社中外臨床研究センター スペシャリティ開発部第3G(写真右)
中外製薬のアライアンス先であるロシュ社が実施するグローバル試験や、中外製薬の開発品等、国内で実施する臨床試験のスタディマネジメントを担う。臨床開発プロセスの効率化・高度化と患者さんに寄り添った臨床開発の推進を目的とする、中外製薬DCT推進タスクフォースにも参画している。
日本におけるDCTの幕開け
-- 現在担当している業務について、簡単に教えてください。
谷口:がん専門病院で勤務し、主に胃がん、大腸がん、食道がんなど消化器がんの患者さんに対し、抗がん剤治療(薬物療法)を行っています。治験や研究も日常診療と並行して行っており、1〜2割の患者さんを臨床試験や治験につないでいます。
伊藤:私が所属する臨床研究支援室は、当院が主導する医師主導治験などの臨床研究が円滑に進むよう、支援を行うための組織です。各治験はPMによって予算やスケジュール、ドキュメントの管理などが行われており、私は室長の立場から全体を統括しています。以前は、グローバル製薬会社にて新薬の開発に携わっていたほか、アカデミアにおいて医療Dxの研究やCRA(Clinical Research Associate:臨床開発モニター)、CRC(Clinical Research Coordinator:治験コーディネーター)等の育成にも関わってきました。しかし、企業に比べアカデミアはまだまだ医薬品開発に係る人材が手薄であり、また、更なるアンメットメディカルニーズの解決には優秀な人材の育成や医師主導治験の活性化が急務であると考え、キャリアチェンジし、現在では山梨大学大学院臨床研究支援講座にて准教授を務めつつ、現職に就いています。
嘉治:私は中外製薬が行う臨床試験のスタディリーダーとして、臨床試験のスタディマネジメントを担っています。当社のDCT推進タスクフォースのプロジェクトマネジメントオフィス(PMO)も担当しています。DCTとは一言で言えば、治験に参加する患者さんの負担を軽減する施策のこと。二言目を加えるなら、我々企業人にとって、医薬品の臨床開発期間を短縮できる可能性のある施策、と捉えています。
-- 医療現場におけるDCTの意義をどのようにお考えですか。ご自身の経験からお教えてください
谷口:私もDCTについて嘉治さんと同じように理解しています。あえて言い換えるとすれば、DCTとは「患者さんから始まる治療開発」になるのではないでしょうか。個人的に、この言い方がとても気に入っています。従来の治療開発は依頼者や医療機関が起点でしたが、DCTでは“患者さん”がスタート地点。患者さんに対し、どのように治験を進めるのが一番良いのか、職域を超えてみんなで頭を並べて考えるというイメージです。
伊藤:DCTは臨床試験において、一つのパラダイムシフトが起きたと言えるでしょう。これまでは、患者さんの来院が臨床試験の前提でしたが、DCTではテクノロジーを駆使し、患者さんの来院に依存することがありません。5年ほど前は、DCT(当時はリモート治験と言われていた)を話題にしても臨床研究関係者の間では、「そんなものは未来の話だ」「自分たちがやることではない」という意見が多かったのです。しかし、COVID-19の流行を契機に、一部の臨床試験もリモートで行う事例が世界的に現れるようになりました。日本でも2020年ごろからDCTを本格的にやろうという流れが見え始めました。
谷口:2022年、我々は日本で初めてのフルリモート治験を、当院医師が治験調整医師を務める医師主導治験に導入しました。これはALK融合遺伝子陽性の進行・再発固形腫瘍¹⁾を対象としたものだったのですが、非小細胞肺癌以外の固形腫瘍では、ALK融合遺伝子陽性の患者さんは0.2%と極めて低頻度です²⁾。希少疾患の患者さんを対象とした治験は、登録に苦労することが多いです。患者数が少ない上に、治験に参加するために全国の治験施設10施設へ定期的に通院いただくのが難しい患者さんも発生する状況でした。DCTは治験参加にともなう、患者さんや家族の通院の負担が軽減されるという点が、大きなメリットになっています。
伊藤:DCTとオンコロジー(がん)領域、特に希少がん³⁾を対象とした治験との親和性は非常に高いと考えています。第4回がんゲノム医療中核拠点病院等の指定に関する検討会で提出された資料「がんゲノム医療中核拠点病院等の指定について」によると、保険診療でがん遺伝子パネル検査⁴⁾を受けた患者さんのうち、エキスパートパネルで提示された治療薬が投与された患者さんはわずか9.4%でした。患者さんは全国におられますが、特に希少がんや希少フラクション⁵⁾の治験は、実施医療機関が都市部に集中しており、地方在住の患者さんはアクセス面で圧倒的に不利であり、治験参加のチャンスが少ないことが明らかになっています。そのため、患者団体からも地方在住患者に対し、治験へのアクセス改善を求める声が大きくなっていました。このように、DCT導入による、治験参加機会の増加という患者さん側のベネフィットは大きいと考えています。
1)ALK融合遺伝子とは:ALK融合遺伝子という遺伝子異常が原因のがん
詳しくはこちら(中外製薬「おしえてがんゲノム医療」)
2)Ross JS, Ali SM, Fasan O, Block J, Pal S, Elvin JA, Schrock AB, Suh J, Nozad S, Kim S, Lee HJ, Sheehan CE, Jones DM, Vergilio JA, Ramkissoon S, Severson E, Daniel S, Fabrizio D, Frampton G, Miller VA, Stephens PJ, Gay LM. ALK Fusions in a Wide Variety of Tumor Types Respond to Anti-ALK Targeted Therapy. Oncologist. 2017 Dec;22(12):1444-1450. doi:10.1634/theoncologist.2016-0488. Epub 2017 Oct 27. PMID: 29079636; PMCID: PMC5728036.
3)希少がんとは: 臨床病理学的に定義されたがんにおいて、極めて発生頻度の低いがん
4)がん遺伝子パネル検査とは:がんの遺伝子の変化を調べ、その後の治療に役立てることを目的とした検査。詳しくはこちら(中外製薬「おしえてがんゲノム医療」)
5)希少フラクションとは: 臨床病理学的に定義されたがんにおいて、その中でも非常に少ない症例で特徴的な分子異常(融合遺伝子や突然変異)が共通に見られる患者群
-- 医療機関へのDCT導入にはいくつものハードルがあったと思いますが、どのように乗り越えたのでしょうか
谷口:私がDCTを行う上で意識しているのは、Doctor to Patient with Doctor (D to P with D)というスタイル。つまり、「治験施設の医師だけでなく、普段のかかりつけ医も一緒に、みんなで治験を行おう」という形です。そもそもDoctor to Patient with Doctorという考え方は治験だけでなく、日常診療でのオンライン診療で唱えられていたもの。厚労省の資料でも「医師-主治医等の医師といる患者間の遠隔医療」と定義づけられています。とかく治験というと、「治験担当医と患者さんの1対1」というイメージがありますが、そこにかかりつけ医の医師も加えることで「患者さんの視点に立った治験」という姿勢を盛り込みました。
そうした視点を加えたのは、私自身、かかりつけ医と治験の担当施設という、双方の立場を経験してきたからかもしれません。従来であれば、かかりつけ医が患者さんに治験を紹介する時、「これで縁が切れてしまうな」「治験を終えたあとでまた患者さんが戻ってくるのかな」「治験にお任せした方が安心だな」など、個人によっていろいろな感情があったと思います。しかし、「かかりつけ医も患者さんと一緒に、治験に参加する」という体制を敷けば、かかりつけ医は今までずっと診続けてきた患者さんをこれからも診ることができますし、さらに新薬にも触れられるということになり、医師として大きなメリットを感じてもらえるのではないかと思います。
伊藤:DCTではステークホルダーが分散化し増えるため、組織内外での調整は非常に重要だったと思っています。新しいことを始めるにはさまざまな面でのハードルがあることも実感しました。当院では、CRC室や薬剤部、医事課などさまざまな部門を含むタスクフォースチームを構成し、病院全体の取り組みとして動きました。そして、DCTを運用できるプラットフォームを作って、研究者の先生方がDCTを導入できる環境を整えました。DCTプラットフォームをSite Ownedで準備すれば、様々な企業も協業して入ってきやすく、多くのステークホルダーで共創しやすい形でDCTを進めることができました。
現在、私たちのプラットフォーム運用には中外製薬さんをはじめとした製薬企業も参画しており、実際に3つの治験が動いています。こうやって事例が増えていくと、医師・研究者の先生方も興味をもってくれるようになる。いろいろな先生方が、「地方で取り残されている患者さんがいる疾患で、自分もDCTが出来るのでは?」と考え行動するようになり、広がっていくというのが理想です。もちろん医師主導治験だけでなく、企業が主導となる治験にDCTを取り入れる製薬企業も増えていくでしょう。
というところで、嘉治さん、企業の立場としてはどうでしょう。
嘉治:中外製薬でも医療機関の責任医師から、遠隔の患者さんを治験に参加させたいというリクエストをきっかけに、DCTを導入したという経緯があります。もちろんオンコロジー領域だけではなく、小児の疾患、神経系の疾患などさまざまな領域でDCTを取り入れていますし、とりわけ、希少疾患や難病に対してもDCTは親和性が高いと感じています。治療のタイプとしては注射剤より経口剤のほうがいいのではないかという意見もありますが、DCTを検討するときにはバイアスをかけず、どの剤形でも検討してみるというのがタスクチームの見解です。
伊藤:経口剤は現状でも、自宅へ送ることが可能であり、DCTを取り入れやすいというメリットがあります。一方注射剤については現在のレギュラトリー上、ハードルが高かったのですが、規制の緩和を受け、谷口先生と一緒に、今年のAMED(国立研究開発法人日本医療研究開発機構)の研究班で、注射剤でのDCTの検討を始めることになっています。今後は経口剤だけでなく、注射剤でのDCTの選択も進むのではないかと考えています。
-- DCTに欠かせないリモート診療やデータ統合などのデジタルテクノロジーにおいて、課題はありますか?
谷口:DCTを導入する際に懸念だったのがデジタルなどのテクノロジーをどこまで、どのように導入するかです。テクノロジーを導入することで、かえって手順が複雑になり、コストも増えますし、また、患者さんの立場においても、せっかく地域格差は解消されようとしているのに、今度はデジタル格差が生じてしまい、その結果、治験に参加できない人が増えてしまう懸念もあります。
嘉治:現在DCTを推進していく上でのハードルのひとつになるのが、データの共有です。まず、施設間でのデータ共有が必要になります。また、施設の電子カルテと製薬企業がデータ収集に使用するEDC(Electronic Data Captureシステム)間でのデータ連携にも着目しています。いずれも、データ共有しやすい環境を構築すべく、他の企業と連携しながら課題解決につとめています。
伊藤:気を付けたいのが、DCT等のデジタルテクノロジーの導入は、それ自体が目的ではなく、あくまでも手段であるということ。私たちは国際共同治験も含め、様々な試験に対応するために、一度も来院せず治験に参加できる、フルDCTのプラットフォームを整えましたが、実際に運用してみると、「Aの試験ではここのパートだけの導入で十分」「Bの試験ではこのDCT要素は不要」というように、必ずしも全てリモートでフル装備する必要はないということに気づいたのです。そのため、はじめは、オンライン診療やホームナーシング⁶⁾の1つのみを導入するだけでも良いでしょうし、ePRO⁷⁾で患者さんの情報を取得するだけでも良い。自分の研究や試験に見合ったデジタルツールを選んで入れるという考え方にシフトしたほうが、DCTを導入するハードルが低くなるのではないかと考えています。
嘉治:私も、「何のために、何をするのか」を考えることは非常に重要だと考えています。希少疾患を対象とした臨床試験であれば、遠いところの患者さんにも治験に参加する機会を提供するために、オンライン診療のDCT要素を導入する。来院頻度の高い臨床試験であれば、来院負担を減らすためにホームナーシングを導入するなど、目的に沿ったDCT要素を導入してこそ、患者さんに寄り添った臨床開発が進められると感じています。
6)ホームナーシング(訪問看護)とは:医療機関の代わりに患者さんの自宅などに看護師が訪問し治験対応を行うこと
7) ePROとは:患者さんが自身の健康状態や症状を電子機器を用いて直接入力し、報告するシステムのこと
-- DCTの世界の動き、あるべき未来像はどのようなものですか?
伊藤:DCTの未来像を考えると、たとえばアメリカではすでに「選択と投資の集中」の考え方になってきたと聞いています。つまり、「どの試験に何のDCT要素を入れて、どういうふうにやるべきか」を考え、「この治験は無理にDCTを入れる必要はなく、従来のやり方で良いのでは」と見直す声も出始めているのです。ただし日本では、DCTを選択肢の一つとして検討出来るところまではまだ到達していないので、もう少し我々アカデミアをはじめ、皆で頑張らなければいけないと考えています。同時に選択と投資の集中を進める上では、「このような治験はDCTで行うと、こうしたベネフィットが得られる」といったエビデンスも、集積していく必要があると思います。
谷口:DCTの目標は患者さんの負担軽減と、治療開発や登録の促進であり、立場は違っても、これらは治験に関わるすべての人にとって共通の目標です。全員が共通の目標に向かって進むというところにDCTの良さや価値があると感じています。
医療における日本の課題は、患者さんが分散しているため、1施設あたりの治験患者さんが少ないということです。特に現在では日本のマーケットが縮小し、治験登録数で海外と競うことも難しくなっています。その一方、医療と研究の均てん化が進み、地方にある中規模病院でも優れた医療を提供しつつ、治験実施体制が整っている病院が多いのは日本の強みです。そういう医療機関の人たちと協業しながら治験を進められるというところもDCTのメリットだと考えています。
そのためにはさまざまな企業との連携も必要です。DCTが普及し、治療開発が促進されることは企業やステークホルダーにとっても大きな利益になるはずです。セクショナリズムや業界の壁などにとらわれることなく、ぜひ、一緒に協業していきたいと考えています。
嘉治:DCTの普及には、新薬を開発し治験を行う私たち製薬企業の社員のマインドセットも重要だと考えています。いま、中外の臨床開発に携わる社員がDCTの意義や未来を知る機会として、「DCTフェス」というイベントを企画し、準備中です。医療関係者やテクノロジー企業、患者さん側に立つ方もお呼びして、体験や対話の場を創ります。中外製薬のミッションステートメントのひとつに「患者さん一人ひとりの健康と幸せを最優先に考えます」という文言がありますが、まさにDCTを推進する上でもこの考えが基本になります。「DCTを導入することで、患者さんの役に立つのか」「一体どんな役に立つのか」ということを患者さん、医療関係者、企業と皆で考えながら進めることで、患者さんに寄り添った医療が実現できるのではないでしょうか。
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社内イベント「DCTフェス」開催報告
9月30日に開催されたDCTの意義・未来を知る社内イベント。体験、講演会、ワークショップなどを実施しました。その一部をご紹介します。
ステークホルダーセッション
遠隔地の治験に参加された患者さんのご家族、DCT導入を推進する医療従事者の方々、中外製薬のDCTタスクフォースメンバーによる事例紹介とパネルディスカッション。各登壇者がDCTの導入効果、課題や解決策を本音で語り合いました。
パートナー企業によるDCT体験会
DCTの普及に取り組む企業のソリューションについて、企業の担当者から直接紹介を受けることができる体験会を実施しました。
中外製薬のDCTに関する記事
DCTタスクフォースの宇田川が中外の取り組みを紹介します。
インタビュー:桑子朋子(中外製薬デジタル戦略推進部/広報IR部)
編集:胡桃里枝子(中外製薬デジタル戦略推進部)